多くの家庭が「必要だと知っているのに、備えられていない」


災害時にトイレが使えなくなることは、多くの人が頭では理解しています。実際、調査データでも「大きな災害が起きるとトイレが使えなくなる可能性があることを知っている」と答えた人は8割を超えています。それにもかかわらず、災害用トイレを実際に備えている家庭は3割前後にとどまっているのが現状です。
この数字が示しているのは、「防災意識が低い」という単純な話ではありません。むしろ、多くの家庭が防災について考え、情報にも触れているにもかかわらず、行動に移せていないという事実です。防災トイレは、水や食料と違って日常的に使うものではないため、どうしても優先順位が下がりやすく、「そのうち考えよう」「まだ大丈夫だろう」と後回しにされがちです。
さらに、防災トイレは種類が多く、凝固剤や回数、保存期間など、判断しなければならないポイントが多いことも、行動を止めてしまう原因になっています。必要性は分かっているのに、何を基準に選べばいいのか分からない。その結果、備えないまま時間だけが過ぎてしまう家庭が多いのです。
この「知っているのに備えられていない」というギャップを埋めることが、防災トイレの基礎知識を知るうえでの第一歩になります。
災害時、水洗トイレは使えなくなる

普段何気なく使っている水洗トイレは、災害時には前提条件が大きく変わります。地震や豪雨などによって断水が起きると、トイレを流すための水が確保できなくなります。また、見た目には問題がなさそうでも、下水管や排水設備が破損している可能性があり、無理に流すことで汚水が逆流する危険性もあります。
調査でも、災害時にトイレが使えなくなること自体は多くの人が理解していることが分かっています。それでもなお、「水が出ないならペットボトルで流せばいい」「一時的なら我慢できる」と考えてしまうケースは少なくありません。しかし、排泄は1日で何度も必要になる生理現象であり、数時間や半日で済む問題ではありません。
特に、自宅避難を選択した場合、トイレが使えない状態は生活の質を大きく下げます。我慢を続けることで体調を崩したり、無理に流してトイレ自体が使えなくなったりすることもあります。災害時に水洗トイレが使えなくなるという事実は、「知識」だけで終わらせず、具体的な備えに落とし込む必要があります。
仮設トイレは「すぐ・十分」に使えるとは限らない

災害時のトイレ対策として、「避難所に仮設トイレが来るから大丈夫」と考えている人は少なくありません。しかし、調査データを見ると、その認識には大きなズレがあることが分かります。
東日本大震災の時には、避難所に仮設トイレが行き渡るまでに「3日間以内」と回答した自治体は約3割にとどまり、「4〜7日」「1週間以上」「1か月以上」と回答した人も一定数存在します。仮設トイレは必ずしも迅速かつ十分な数が届くとは限らず、地域や被害状況、交通渋滞によって大きな差が出るのが実情です。
さらに見逃せないのが、仮設トイレの形式です。近年、仮設トイレの洋式化は進みつつあるものの、現場では依然として和式トイレの割合が高いのが実情です。高齢者や子ども、足腰に不安のある人にとって、和式トイレは大きな身体的負担となります。「行きたいのに使いづらい」「不安で避けてしまう」といった状況が、排泄を我慢する原因になるケースも少なくありません。
これらのデータが示しているのは、仮設トイレは重要な支援設備ではあるものの、「仮設トイレがあるから安心」と全面的に頼るのは危険だということです。仮設トイレが設置されるまでの時間、数や形式の不足といった現実を踏まえると、自宅で確実に使える防災トイレを備えておくことが、家族の健康と安心を守る大きな支えになります。
トイレが使えないことで起こる「トイレパニック」

災害時に深刻化しやすい問題の一つが、トイレが使えなくなることで発生する「トイレパニック」です。断水や下水の停止により排泄が思うようにできなくなると、人は強い不安やストレスを感じ、心身の健康に大きな影響を及ぼします。
実際、熊本地震の際に行われたアンケート調査では、発災から6時間以内に73%もの人が「トイレに行きたくなった」と回答しています。災害はいつ起こるか分からず、直前に排泄を済ませているとは限りません。発災直後からトイレの問題は、多くの人にとって切実なものになります。
トイレを我慢することで起こるのは、不快感だけではありません。水分摂取を控えることによる脱水症状、便秘や膀胱炎、持病の悪化など、体調不良につながるリスクが高まります。特に高齢者や子ども、体力の落ちている人にとっては、これらが重なり命に関わるケースもあります。
さらに、避難所や仮設トイレなど、多くの人が同じトイレを使用する環境では、感染症のリスクも無視できません。ドアの取っ手や便座、洗浄レバーなど、同じ場所に不特定多数が触れるため、新型コロナウイルス感染症や感染性胃腸炎などが広がりやすい場所になります。トイレの衛生環境が悪化すると、感染症が連鎖的に広がる危険性が高まります。
トイレパニックは、「トイレがない」「使えない」という状況が引き金となって起こります。だからこそ、発災直後から自宅で確実に使える防災トイレを備えておくことは、感染症予防や体調管理の面でも重要な対策です。トイレの備えは、単なる生活の不便を解消するものではなく、家族の命と健康を守るための備えだと言えます。
防災トイレとは何か

防災トイレとは、断水時でも水を使わずに排泄できる非常用トイレの総称です。
多くの場合、家庭のトイレや簡易便座に排便袋をセットし、排泄後に凝固剤を入れて処理します。電気や水が不要なため、災害時でもすぐに使える点が特徴です。
凝固剤は、防災トイレの中核となる存在です。排泄物を素早く固めることで、液体が漏れにくくなり、臭いの発生を抑えます。これにより、使用後も比較的清潔な状態を保つことができ、室内での保管や一時的な管理がしやすくなります。凝固剤には使用期限があるため、長期保存が可能かどうかも重要な確認ポイントです。
排便袋や処理袋についても、防臭性や強度が重要です。袋が破れたり、臭いが漏れたりすると、精神的なストレスが一気に高まります。防災トイレは単に「排泄できればよい」ものではなく、非常時の生活を少しでも安心して続けるための道具だという視点で理解することが大切です。
実は「備えていても足りていない」家庭が多い

調査データから見えてくるもう一つの重要な事実は、「防災トイレを備えている家庭の中でも、備蓄量が十分でないケースが多い」という点です。10回分、20回分、30回分といった少量の備えで安心してしまっている家庭は少なくありません。
しかし、排泄回数の目安を考えると、その不足は明らかです。大人1人あたりの排泄回数は1日およそ5回とされています。仮に4人家族で3日間自宅避難をする場合、必要になるのは60回分です。5日、7日と日数が延びれば、必要な回数はさらに増えていきます。
「一応備えている」という状態と、「実際に足りる量を備えている」という状態には大きな差があります。調査結果は、多くの家庭が前者にとどまっている現実を示しています。防災トイレは、回数が足りなければ意味を成しません。家族構成と想定日数をもとに、具体的な数字で考えることが重要です。
防災トイレを備えない本当の理由


防災トイレを備えていない理由として多く挙げられているのは、「必要性を感じていないから」ではありません。調査では、「どこで買えばいいか分からない」「保管場所や管理が不安」といった声が多く見られます。
つまり、多くの家庭は防災トイレに関心がないのではなく、判断材料が不足している状態にあります。情報が多すぎる一方で、自分の家庭に当てはめたときの答えが見つからない。その結果、決めきれずに備えを先延ばしにしてしまうのです。
この状況では、不安をあおる情報を増やしても逆効果になります。必要なのは、「自分の家庭の場合はどう考えればいいのか」を具体的に示すことです。防災トイレを備えない理由の多くは、意識の問題ではなく、分かりにくさにあります。
使い方が分からないことが不安につながる

調査では、防災トイレを「実際に使ったことがある」と答えた人はごく少数でした。多くの人にとって、防災トイレは見たことはあっても、使う場面を具体的に想像したことがない存在です。そのため、「失敗しそう」「うまく処理できるか不安」といった気持ちが先に立ってしまいます。
使い方が分からないまま備えると、いざというときに戸惑いが生じます。説明書を読む余裕がなかったり、暗闇で作業しなければならなかったりする状況では、事前のイメージがあるかどうかが大きな差になります。
事前に「こうやって使う」という流れを理解しておくだけでも、不安は大きく軽減されます。調査結果は、使い方への不安が行動を妨げていることを示しています。
防災トイレは「安心を数で備える」もの
防災トイレは、非常時に不便を我慢するための道具ではありません。排泄を我慢せず、衛生的に生活を続けるための備えです。そのためには、「いくつ持っているか」「何日分あるか」という量の視点が欠かせません。
価格やランキングだけで選んでしまうと、回数が足りなかったり、家族構成に合わなかったりすることがあります。大切なのは、自分の家庭にとって必要な回数を満たしているかどうかです。数が足りているという安心感は、災害時の精神的な負担を大きく軽減します。
防災トイレは、安心を目に見える「数」として備えるものです。その考え方を持つことで、備えの質は大きく変わります。
「知っている」から「備えている」へ
多くの家庭は、すでに防災トイレの必要性を理解しています。足りないのは、正しく判断するための情報と、具体的な行動への後押しです。必要な量を知り、使い方をイメージし、自分の家庭に合った備えを選ぶ。その一つひとつは難しいことではありません。
「知っている」状態から一歩進んで、「備えている」状態になること。それが、災害時でも落ち着いて行動できる安心につながります。防災トイレの基礎知識は、そのための土台となるものです。
